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頤和園についてのクチコミ情報

頤和園

(2000年9月記、2004年6月、2007年5月改訂)

皇室のサマーパレスとして名高い「頤和園」。北京市街の西北約15kmにある、古典的で代表的な中国式庭園。総面積は290haで、その3/4を湖が占める。

皇室庭園としては、金の時代(3、4世紀)頃から知られていたが、王室庭園として本格的に整備が始まったのは1750年のことである。当時はまだ「頤和園」とは言わず「清イ一園」(「イ」はサンズイに猗)と呼び、その後光緒帝即位の後、当時「垂簾政治」をしていた西太后の意により1888年に詔勅が配布され、当時の海軍経費3000万両を流用して再建された(1895年完工)のを機に「頤和園」と呼ぶようになった。辛亥革命後は、溥儀の私有財産となり、その後北京政府が一部軍閥の住宅に使用したりと、中国の権力者の影が見え隠れする地である。現在のように公園として一般開放されるようになったのは、中華人民共和国が成立した後のこと。

ガイドブックなどでは、よく「円明園」とセットで扱われるが、この両方をのんびり見ようとすれば、もちろん1日掛りだ。庭園と聞いて侮ることなかれ、西太后がその権力と財をなして造った庭園は広く見ごたえもバッチリ。


ルート概要

人造湖である昆明湖とその土で築かれた万寿山の織り成す景色は素晴らしく、通常は東門から入り、東岸から長廊を半分渡って万寿山にのぼり、さらに石舫から舟で十七孔橋に渡るコースや石舫を回り込んで玉帯橋に行き西から万寿山を眺めるコースなどがある。

北門からも出入りでき、北門を入りすぐの橋のかかる堀沿いには、昔の蘇州の街を再現した「蘇州街」があり、古銭の模造品による買物が楽しめる。

〔3時間コース〕
1.東宮門→2.仁寿殿→3.玉瀾堂→4.徳和殿→5.楽寿殿→6.長廊→7.石舫→8.仏香閣※→9.宝雲閣※→10.昆明湖→11.南湖島※→12.十七孔橋※→13.銅牛

〔1.5時間コース〕
上記、※印を除いたコース

〔円明園(西洋楼遺跡)のみ〕
所要時間:1時間


WHAT TO SEE ?


■東宮門

頤和園の正門。入口中央にかかる「頤和園」の扁縁は光緒帝直筆。


■仁寿殿

西太后や光緒帝がここで政務をとり、外国使節を謁見した。正面の東宮門から仁寿門、仁寿殿と一直線に並ぶ美しい皇室建築。


■玉瀾堂

光緒帝が10年間に渡り軟禁された場所。夏はここ玉瀾堂に、冬は中南海に軟禁された。1890年の英仏連合軍により破壊されたが、後に光緒帝が再建。室内の磚(かわら)の壁は光緒帝と外界の接触を防ぐために造られた。


■徳和殿

芝居好きな西太后のための劇場で、正面が3階で背面が2階という大戯楼式。俳優が上下に移動、仙人になって天に昇ったり、天上の天女が下界したりといった場面が自由に演じられた。舞台の向かいにある「イ楽殿」(イは巨にオオガイ)から西太后が観劇した。当時は西太后の許可を得たものだけがここから舞台を見ることが出来た(当時、光緒帝ですら廊下から見ていたとのこと)。現在は、西太后のゆかりの品がならぶ。


■楽寿殿

西太后の居室。四合院建築で堂の西側に寝室、東側が食堂になる。西太后は中央の部屋で食事をすることも多く、通常料理は3テーブルに並べられた。食べるもの、目で見るだけの観賞用と各1テーブル。主菜が60皿、菓子・くだもの30皿、山海の珍味が120皿。食費は、一日白銀60両で、白米5トンを買うことができた。


■長廊

楽寿殿と排雲殿を結ぶ長さ750mに及ぶ回廊の柱の梁には、8,000にも及ぶ花鳥風月、歴史、古典の絵が描かれている。代表的な中国庭園建築には必ずと言っていいほどこのような長廊がある。


■石舫(清晏舫)

「絶対沈まない船」すなわち「絶対に覆らない王朝」の意で造られた。乾隆帝の時代に建てられたが、1860年の英仏連合軍の焼き討ちで上層部分が焼失。西太后が西洋風に再建した。西太后の浪費のシンボル。


■排雲殿

乾隆帝が母の還暦60歳の祝い建てた大報恩寿寺を西太后が立て直した。頤和園の正殿。排雲殿の名称は「神仙排出雲、但見金銀台」の句に由来する。写真の玉座に西太后が座り誕生日の祝賀を受けた。殿内に残されている品々は西太后70歳の誕生日の家臣からの贈り物である。


■仏香閣

もともとは、ここに9層の塔が建てられるはずであった。8層まで完成したところで都城の西北方に塔を建てるのは不吉とされたことと、昆明湖の広い水面に対し、細長い塔では如何にも貧弱であると騒がれたため、完成直前に全て取り壊された。その後、杭州の銭塘江に臨む「六和塔」に従い、8閣3層、高さ41m、基壇の高さ20mに及ぶ仏香閣が造られた。内部には「南無大悲観世菩薩」がある。またここは、頤和園のシンボルと言われ、ここからの昆明湖の眺めは絶景である。


■宝雲閣

高さ7.5mの銅製の寺で木造建築を模して作られた(1755年建造)。使用された銅は200tに及び漢白玉石の上に建つその美しさから宝雲閣と呼ばれた。8カ国連合軍により内部の仏像から扉まで略奪された。最後に残された机も日中戦争の際に日本軍により持ち去られたとされている。


■昆明湖

乾隆帝が造った人口湖。漢の武帝が長安(今の西安)で水軍の訓練のため開削した昆明池の故事にのっとり、西湖を昆明湖と改称した。杭州の西湖に似せて、湖を「蘇堤」(蘇東波が築いた)で隔てることにより、風景を複雑に見せようとしている。また昆明湖は南に行くほど幅が狭くなる。仏香閣から眺めて遠くに行くに従って小さく狭く造り、実際よりも奥行きを深く見せようとする工夫が感じられる。


■南湖島

昆明湖に浮かぶ3島のうちの一つ。神仙伝説の蓬莱、方丈、瀛洲の3島のうちの蓬莱を模して造られ、島内には龍王を祀る龍王廟と香樹の名木がある。


■十七孔橋

南湖島と東岸を結ぶ150mの盧溝橋型の美しい橋。橋の欄干にはそれぞれポーズの異なる544匹の獅子がいる。




■銅牛

古代の伝説で、禹が治水工事を行った際、鉄牛が水害を防ぐということで、鉄牛を水に沈めた故事にちなんだもので、1755年に鋳造された。牛の背中にはそのこと記した80字篆體(てんだい)文字が記されている。


データ

アクセス:天安門より車で30分
開園時間:4~10月6:30~18:00 11~3月7:00~17:00
仏香閣、蘇州街等を含むせっとチケット料金:4~10月50元 11~3月40元


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