紫禁城。 古来の歴史書『周礼』をもとに造られ、皇帝支配の象徴とされる場所である。紫禁城の午門をくぐり、1万坪を越える前庭と太和殿を目の前にすれば、時間を超越し、建物、宝物、木々の一つ一つにこれまでそこに住んだ様々な人の物語を感じることができる。 紫禁城の宝物の多くは、国民党が内戦中に大陸から数万キロの道のりを経て台湾に持ち込み、 現在台湾台北の「故宮博物館」に保管されているが、「故宮博物院」は建築の壮大さを伝えており、 紫禁城の偉大さを体感するには、むしろここの方が相応しいだろう。 ここは、中国を訪れるツーリストにとってメインとなるのはもちろんのこと、 地球上で、是非訪れておくべき場所のうちの一つに挙げることができるといっても過言ではない。 この地には、もともとは、国民党の時代に外朝を古物陳列所として、皇帝への献上物の他、瀋陽故宮(注1)や承徳行宮(注2)の宝物が展示されていた。その後、溥儀が内廷を退去させられると「故宮博物院」とされた(1947年)。 (注1)瀋陽故宮 従来は「紫禁城」と呼ばれていた。「紫禁城」の「紫」とは、本来天の中央に位置する紫微垣に由来する。中国の天文学では、古来、北天(注3)を太微垣・紫微垣・天市垣に分けた。その中央にあったのが紫微垣である。天帝がいる宮殿を「紫禁」というのは、動くことのない天(紫微)の支配を指し、宮殿の門戸が一般市民には「禁」であったことから「禁断の皇宮」という意味から「紫禁城」と呼ぶのである。 (注3)北天 「紫禁城」は、1406年に明の永楽帝の命により造営が開始され、全国から数10万人の労働者と数100万トンに及ぶ建築資材が集められ、完成までに15年の歳月を要した。以後、明、清代の皇帝24人がここを居城とし、ラストエンペラーで知られる溥儀や康熙帝など中国に名を残すさまざまな人物の歴史的な舞台になった。 北京の中心に位置し、東西735メートル、南北960メートル、敷地面積72万平方キロメートル、周囲を高さ10メートルの壁に囲まれ、幅52メートルの堀に巡られている。建造物700余、部屋数9万9000、所蔵品数100万点に上る故宮は、建物自体が重要な歴史的資料となっている。故宮は大きく「外朝」「内廷」に分けられ、「外朝」は主に公の行事を行う場で、太和殿、中和殿、保和殿の3殿からなり、「内廷」は乾清門以後の乾清宮、交泰殿、坤寧宮、東西6宮などの宮殿群からなり、皇帝が日常政務を取り仕切ったり、住居があった場所、皇后・貴妃の住居として利用した場所を"後宮"と呼んだ。ここに現存する門は、午門、東華門、西華門、神武門(北門)の全部で4ヶ所しかない。
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